ADHDに効くクスリ「心屋仁之助」

ども、いつもなにか悩んでるマンです。

 

今日は心屋仁之助の思想がADHDの方にオススメって話です。

 

先に言っときますが、心屋仁之助でググると、2つ目のキーワードには「宗教」。怪しい臭いがプンプンします。

 

…まぁ、心理カウンセラーとしてカリスマ的な存在で、セミナーを開いて精神面のサポートしながら、しかも教え子の公認カウンセラーが言わばネズミ講的にファンを増やしている、かつ武道館で音楽ライブなんてやったりして、メソッドを実践した成功者からは喜びの体験談が続々と寄せられる…という状況をみれば宗教的かね、とは思う。

 

僕自身、セミナーだとかカウンセリングだとかグレードの高い買い物を敢えてする(神社で1万円?)とか、そんなにお金を何万円も使うような入れ込み方をしていません。

著書を1冊〜2冊買って読んだりポッドキャストの無料放送を通勤中に聞き流してるくらい。

だから「熱心な信者」ではないと明言しておきます。

 

そんな感じで、心屋仁之助の心理テクニックはポイントだけ押さえて参考にされると良いと思います。

 

▪️ADHDのつらいところ

 

ADHDを抱えていると自己肯定感が低い。だって失敗ばっかりの人生なんだもの。

 

会社の同僚から

「ひとりでがんばって、ひとりで空回って、ひとりでコケるよね」

と言わたときだって『…エヘヘ』と自嘲気味に笑うしかなかった僕です。

(一方で助けてもらってることもホントは多いんだけどね)

 

そんなADHDあるあるサンには、心屋仁之助(通称ぢんさん)のお話を聴いてみてほしいんです。

 

▪️前者後者

 

彼は人を2つにカテゴライズをします。

 

ひとつは、 

ちゃんとしてる人、理性的で論理的な人、理論立てて人の話を聞けて頭の回転よく返せる人、普通な人、まともな人…(注)

 

対して、

抜けてる人、感情的な人、話途中で上の空になって聞けなくなっちゃう人、突飛なアイデアを実行しちゃう人、普通は考えられないことをしちゃう人、常識が通用しない人…(注)

 

(注:心屋仁之助が言ってるわけでなくて僕の解釈です)

 

この2つにカテゴライズされ、まったく違う類の人間なんだ、という思想からスタートします。

 

名付けて「前者後者」。

最近では話しながら意識・集中が「飛ばね族/飛ぶ族」とも言われています。

 

ここまでくれば言いたいことはわかりますよね?

 

心屋仁之助は、そういう言い方はしていないですけど、聴いていて明らかに後者・飛ぶ族=ADHDの気がある人。

 

しかも、

本質的に後者の人が、自覚の有無関わらず、がんばって前者になろうする、つまり「前者アプリを積むこと」は不幸なことだと言います。それよりも後者の持ち味を活かした方が良いと。

それに、後者は前者より性能自体が劣るかもしれないけれど、前者では理性や論理を超えた発想はできないことが「できる」のだ、とそういうことを言ってくれる。

 

自分に当てはめてみると、

「普通」とか「常識」とかわからないし、自分なりにがむしゃらに行動することで、失敗はいっぱいしてる。反面、自分の良さもなんとなくわかる。ただ失敗が多いものだから自己肯定感が低く劣等感がある。

自分の良さは認識しながらも、それを武器に突き抜けられなくて、ちゃんとしなきゃいけないのにできない、そっちの方にばかり目がいってしまう。まさに前者アプリを積んで、うまくいかないパターンです。

そんな中途半端な状態が、さらに自分自身を責めてしまう複雑な心境。(この点、突き抜けたアスペルガー的な傾向には憧れを抱くことも)

 

そんな風に後者ばかりが劣っていると思わないで良い、前者だって後者に対して羨ましい思っている反面があったりすると教えてくれて、特性の凸凹を得意不得意の同じ土俵に上げてくれるのが心屋仁之助。

 

そうやって自己肯定感が低くなりがちなADHDには許された感、認められた感がものすっごいわけです。

 

▪️魔法の言葉

 

心屋仁之助が魔法のキーワードとして挙げるのは「大丈夫」。

 

僕、生まれて30数年だけど、ずっと「大丈夫」って誰かに言って欲しかったんだなぁ、って思う。

 

いろんな失敗してきたなかで、こうしちゃいけない、こうなると嫌われる、って、そんなイメージが何事にも付きまとい、そいう想いに囚われることは多い。

 

それでも「大丈夫」。

 

自己肯定感がなくても「大丈夫」。

 

誰かに嫌われたって「大丈夫」。

 

ADHDだって「大丈夫」。

 

そんな心配をするより、

自分らしく、

自分の生きたいように、

自分を活かしてくれる環境で、

自分のやりたいようにやりなさいや。 

 

そうすると、いままでの「あるべき」とか「しがらみ」も嘘のように消えて、楽しく過ごせるよ。って。

 

なので僕は自分の子どもにも、何かあった時には「大丈夫、大丈夫、たいした問題じゃないよ」と常々語りかけるようにしています。

 

著書のなかでは、その先にお金が集まってきたり、家族や自分の周りの関係者の誰かに仕事がまわってきたりする、ということも言われているのですが、それはわかりません。

 

でも、自由に生きられる姿を体現する事によって、誰かに影響を及ぼし、時にブレイクスルーする機会を与えて、なにかしらのリターンが生まれることはあるんじゃないかな、とは考えられる。

ここは正直、大事なところではないです。

 

▪️ニコニコしてしてなくても大丈夫

 

最近、僕が個人的に刺さった話。

 

ポッドキャストの視聴者からの質問に対しての回答の「なるほど」と思い、実践していることがあります。

 

質問者は、会話で笑っちゃうのが悩み。

それに対して、なにかいままでの経験から防御反応で笑ってしまうのではないか、ぶすっとしてても大丈夫、という心屋仁之助。

 

冒頭にも書いたように、常にヘラヘラしている(ように見える)僕には衝撃的でした。

 

これを聴いて僕はマスクをするようになる、表情を作らなくて良い、敢えてぶすっとするために。

これがまた効果的で、いかに自分が人に依存してるか、自分の表情ひとつで許されようとしてたか、気付かされました。

この話は別にしましょうかね。

 

前者後者のお話はポッドキャスト「心屋仁之助のホントの自分を見つけるラジオ」の第三回に詳しいらしいですよ、ぜひ参考にされてくだされ。